東日本大震災から今日で2ヶ月:気になるエネルギー論議 [日記・雑感]
平泉、世界文化遺産登録へ [日記・雑感]
地震:復興計画は地元と民間主導で [日記・雑感]
国の復興構想会議(議長・五百旗頭真防衛大学校長)の議論が始まりました。早速、増税論が出たようですが、国ありきの復興計画は遅々として進まないような気がしてなりません。増税の話は政局のネタにされそうな気がする。政府主導であれば、復興のアウトラインだけでも出すべきであり、それをたたき台にすればいい。いつまでかかることやら・・・って感じがします。
復興は地元、民間企業主導でより早く対応すべきと考えます。国や行政の役割は障害となるであろう規制や法律を緩和すること。民間投資が積極的に行えるような環境づくりを行うべきでしょう。みんな自分の生活を取り戻すことで精一杯であり、理想的な復興計画よりも、早く普段の生活に戻ることを望んでいると思います。
リーダーシップとはこういうときに発揮されるべきですよ、菅さん。野党時代や厚労省時代の菅さんはどこにいったんでしょうかね。やれることはぶち上げた方がいい。手続き論や国会の顔色ばっかりうかがっているようでは前に進まないと思っています。
地震:人への風評被害・・・嘆かわしい [日記・雑感]
福島県人に対する風評被害が問題なっています。風評被害といっていますが、これは差別ですね。自分に理解できないもの対する防衛本能なのか、理解しようとしないのか、受け入れることができないもの、こと、ひとを排除する発想。本当に嘆かわしい話です。
普通の感覚では信じられないようなことが、恐らくは普通の感覚の延長での差別につながっている。嘆かわしいというか恐ろしい話です。
記事 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110419/stt11041911410002-n1.htm
→記事抜粋
福島第1原発事故後、旅館やホテルが福島県民の宿泊予約を拒否するなどの不適切な事例が起きているとして「各閣僚は業界への指導など、できることを精いっぱい行ってほしい」と述べ、差別的な取り扱いの是正に協力を求めた。 この後の記者会見で玄葉氏は、他県に転出した子供が「放射能がついている」といじめられたケースを紹介し「人への『風評被害』が起きている」と指摘。「福島県民は冷静さを保って行動しているが、一部の心ない方の対応は本当に残念だ」と強調した。(後略)
今回の震災の直後、窃盗や暴行といった事件・・・まるで火事場泥棒のようなことがあったことは被災地に行った知人からも聞いておりました。あまりマスコミでは報道されず、むしろ冷静な対応している日本人はすばらしい!といった海外報道に浮かれている節もありましたが、決してそんなきれいごとで済まされる話ではない。ましてや命からがら避難してきた人、これから復興しようとしている地域や人々に対し、まるで冷や水をかけるような話。「がんばれ日本」が色あせて聞こえます。
まあ歴史的にみれば東北人は差別と偏見の歴史を背負ってきました。高橋克彦の一連の作品じゃないけれど・・・「ミヤコは敵だ!」の精神で頑張りましょう。こんな風評、差別に負けずに頑張ろう!蝦夷の民よ!・・・
地震:実家(岩手)に行ってきましたレポート [日記・雑感]
東日本大震災から昨日でちょうど一ヶ月が経ちました。
少し落ち着いていてもおかしくないはずなのに、4月7日、11日の両日に震度6クラスの「余震」がありました。復興機運が高まってきた矢先の強大な余震。まさに出鼻をくじかれましたね。
私の実家、岩手県南は7日の地震で震度6弱を記録しました。3月11日の本震の際は、内陸部は三陸沿岸に比べれば申し訳ないくらい小さな被害で済みましたが、7日の余震は「そうはいかない」とでも言われたかのような揺れだったようで、実家からSOSの電話がありました。新幹線は実家の最寄の駅(一ノ関)まで復旧しておらず車でいくしかない。しかも東北道は宮城県の古川ICから岩手県の平泉前沢ICが通行止めとの情報。最寄のICは平泉前沢ICなので、古川ICで降りて国道4号線を北上するしかありません。東京から実家までは470kmを少し切るぐらい。古川ICから平泉前沢ICまでは約100km。高速道なら1時間程度ですが、一般道となると相当時間がかかりそう。なおかつ東北地方は全域が停電という情報もあって、信号もとまっているだろうから余計に時間がとられそうです。とはいえ、実家には年老いたじいさん一人。SOS要請は初めてということもあって、深夜着、場合によっては翌朝着も覚悟の上で岩手に向かいました。
◆東北自動車道
14時過ぎに首都高にのり15時前には東北道に。物資の運搬のためのかトラックの数が多く、災害派遣の自衛隊の車両や医療チーム、NPOのマークをつけた車など、恐らくは被災地に向かっているであろう車が多かったのですが、渋滞することもなく、あっという間に栃木県内を通過、福島県に入りました。ちなみに帰りの東北道下りでみた光景ですが、右翼団体と思われる救援チームも見かけました。キャンピングカーに日の丸と旭日旗をつけて、SAの駐車場で3月11日の地震が発生した時刻、14:46に黙祷をささげていました。
福島県内に入ると段差注意の看板が多くなりました。道路がゆがんでいる?ひずんでいる?凹凸が多くなり、100km/hで走っていると揺れがひどくなってきました。前を走っている軽自動車が段差のたびに「飛んでる」ように見えました。停電の影響で高速内での給油ができなくなる可能性も考え、吾妻(福島県)というPAで満タンにしましたが、以北のSA、PAは真っ暗で営業停止。ちょっと休もうと思ったらガードマンがいたので「休めますか?」と聞いたら、「まあ休めますけど真っ暗ですから・・・」という返事。トレーラーなどの大型車は止まっていたようですが(暗くてシルエットしか見えない)、なんか不気味な感じがしたので通過。もうすぐ古川ICというところで、通行止めの区間が平泉前沢ICと水沢IC間に変わったことを電光掲示板で確認。朝着くことも覚悟していただげに本当にラッキーでした。早く復旧させようとしたネクスコ始め関係者の方々に感謝しつつ、実家に向けて車を飛ばしました。
◆実家
21時ごろ実家近くの市街地を走行。停電の影響で街中は真っ暗。信号機も作動していませんでした。もともと田舎町なので街灯の数も少なく、それこそ東京に比べたら暗い街なのですが、街灯がない街がこんなに暗いもんだとは思いませんでした。普段、いかに人工の光の恩恵を受けていたかということを改めて実感。なぜか星がきれいに見えました。
21:30頃実家到着。車の方向を実家に向けて止めてヘッドライドの明かりを頼りに荷物を降ろしました。夜目に見て家自体は問題がないようでしたが、中に入ってびっくり。懐中電灯で照らすと物が散乱してとても生活できる状況にないことがわかりました。
仏壇(ひっくりかえっていましたが)から調達した?ローソクに火を灯し、とりあえず座る場所を確保、さぁどこから片付けようかと思ったのですが、親父は「もう寝る」というし、暗い中で何もできないので、「焼酎でも飲んで寝るか」ということに。水道、ガス(プロパン)は大丈夫でしたので、明るくなればなんとかなる、という気持ちはありました。トイレは手動で水が流せるモードに切り替え(ウオシュレット等電動トイレは手動レバーがついてますので停電時にも使用できますよ。知ってました?)、充電タイプで停電時でも観ることができたポータルブルテレビでニュースをチェックしていたら電気が復旧しました。10:45頃でした。
◆被害の大きさに愕然
三陸沿岸部の津波被害に比べれば天国のような状況ながら、翌朝、太陽の光のもとでみた光景にはびっくりしました。隣家のコンクリートで作られた塀は倒壊、実家の前に建っていた蔵は、一見、大きな被害がないように見えましたが、その家の主人に聞くと「蔵がずれた!」とのこと。横揺れが相当ひどかったようで、神社の鳥居も倒壊、寺を始め瓦屋根の家は瓦が落ちて屋根に青いビニールシートがかかってました。古い家は半壊とまではいかなくても、相当な被害をこうむったようです。
我が家といえば物が散乱しているだけかと思ったら家具類は基本的に全てずれており、壁や柱はずれたりゆがんだりしていて埃まみれ。うっすらと家中が白くなっているような感じでした。
正月に買ったばかりの液晶テレビはパネルにひびが入り(これは3月11日の本震)、電子レンジや炊飯器、和ダンスなどは4月7日の地震で「空を飛んだようで」、台所の片付けだけで丸一日かかってしまいました。食器類は破片が散乱。正直、これ片付くのか?と、しばらくの間、呆然としてました。
◆遠くの息子より近くの親戚、近所の皆さん
実は大型の家具などは私が実家に着く前に、近くに住んでいるいとこ、親戚が片付けてくれたとのこと。地震直後の安否確認も近所の人がすぐに駆けつけてくれたようで、一人暮らしの身にはかなり助かったようです。まさに遠くの親戚よりも・・・のたとえの通り、遠くの肉親、息子なんかいざというときに役に立たない。片付けている間は自分の家のことで精一杯だったんですが・・・余裕がなかった。本当に感謝、感謝でした。
4月11日以降も余震は収まる気配を見せていません。本当に内陸部なんかはまだいいほうで、そんな状況の中でも年寄りの一人暮らしの家は大変な状況だと思います。以前、このブログでも紹介させていただきましたが、私のいとこは三陸沿岸部で1週間音信不通になり、さらに別のいとこは家を流されました。連絡が取れない間は最悪の事態も考えましたが、今回の余震で被災地の片隅に自分の実家があることも実感、これを機にいろんなことを考えさせられました。
自然、地球レベルのことではありますが、早く収束して欲しいと本当に心から思う次第。もううんざりです。
一見するそんなに被害のないように見える蔵。実は左にずれている
近所のイオンショッピングセンター(旧ジャスコ)。3月11日以降、なんとか営業していましたが、4月7日の地震で外壁はもとより売場内部も危険な状態になり閉鎖。駐車場で日用品を中心とした店頭販売を実施。
おまけ。柴犬テツ。2歳。地震には慣れっこになってしまった?食欲旺盛・・・元気です!
地震:東北でよかった、なんて言わないでくれ! [日記・雑感]
地震が起きて3週間が経ちました。原発の問題等で不安はありますが少しは落ち着きを取り戻してきたような感じもします。もっとも余震は収まらず、復興に向けた道のりも遠いといわざるを得ない状況が続いています。
最近少し気になることが・・・今回の地震、東北でよかった。東京から東海、関西の中枢をやられていたらこんなもんではすまなかった・・・なんて発言が聞かれることです(電車とか飲み屋で漏れ聞こえてくる会話です。内容は私が要約してますが)。むろん悪気があっていっているのではない(そう信じたい)のでしょうが、そんなこと言わないで欲しい。被災した人は大勢いて、今も大変なんですから。
確かに東北は田舎で他の地方に比べると見劣りするかもしれません。昔から馬鹿されてきた地方ですし、経済的にみても関東以西と比べたら低い。まあ、冷静に考えれば東京や首都圏が壊滅状態になるよりはよかったのでしょう。でも、人手や食料、工業製品の部品等々・・・東北が日本全国、とりわけ首都圏にもたらしてきたものは歴史的にも大きいと思います(有史以来、東北は征服される宿命にありましたが)。
なんか東北なんて無くてもいい、みたいに聞こえる感じ。被害妄想?考えすぎですかね。かつてサントリーの佐治会長が「東北なんて蝦夷や熊襲が住んでいる野蛮な国」といった発言を思い出してしまいました・・・
スガシカオの「Progress」:あと1歩だけ前に進もう [日記・雑感]
震災後、なんかもやもやしたものが消えません。幸い親も無事だったし、被災地で1週間連絡が取れなかった従兄とも連絡がつき安心したのですが、跡形もなくなってしまった被災地の状況をみて呆然とした人たちの気持ちを思うと本当にやりきれない思いがあります。被災地の近くに肉親がいたことも手伝ってそう思うのかもしれません。この感じまだ当分続きそうなきがします。スガシカオの「Progress」じゃないけれど、前に進む気持ちにならないといけないか・・・
http://www.youtube.com/watch?v=F-d-0YmRagY
地震:「かもめの玉子」(さいとう製菓)の復活が復興への足がかり② [日記・雑感]
東日本大震災後にこのブログで紹介させていただいた「かもめの玉子」の「さいとう製菓」ですが、毎日新聞の電子版、毎日jpに震災後の消息について掲載されていました→http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110326ddlk03040033000c.html
従業員250人の全員の無事が確認されたとのこと。「原材料と電気の供給さえあれば、工場を再開できるところまで準備を整えた。」(毎日jp)とのことです。
まだまだ本格稼動とはいかないでしょうが、商品が市場に出回るようになれば地元経済の復興にもつながると思います。われわれとしてはせっせと購入することで支援ができる。みなさん、「かもめの玉子」、目に付いたら買いましょうね。
それにしても本当によかった。他の企業についてもがんばってほしい。瓦礫を片付ける重機の音ではなく、工場の規則正しい機械音が被災地に復活することを願いつつ・・・
さいとう製菓のHPが更新されました!! → http://www.saitoseika.co.jp/top.php
地震:がんばれ!釜石シーウェイブス!! [日記・雑感]
先日の朝日新聞のスポーツ欄にこんな記事が載ってました。一部抜粋させていただきます。
↓
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県釜石市に本拠を置くラグビーのクラブチーム「釜石シーウェイブス」の外国人選手ら5人が、現地にとどまって日本選手とともに復旧作業を手伝っている。プロ野球やJリーグなどで外国人選手が一時帰国する中、「ワン・フォー・オール(1人はみんなのために)、オール・フォー・ワン(みんなは1人のために)」のラグビー精神を発揮している。(中略)豪紙シドニー・モーニング・ヘラルドは、ファーディーが家族に伝えた言葉を紹介している。「私たちは豪州やニュージーランドに帰る場所がある。しかし、日本の選手たちは釜石に家を持ち、家族と暮らしている。こんな悪い状態の時に、仲間を置いて去っていくことが正しいと思わない」(野村周平) 【2011年3月21日朝日新聞】
前人未到の日本選手権7連覇を成し遂げたかつての「北の鉄人」=新日鉄釜石がクラブチームになって何年経ちますかね。行きましたですよ、国立競技場!!!釜石からの応援団は大漁旗を振って応援してましったけ。釜石シーウェイブス(釜石SWRFC)になってからは、その後できたトップリーグにあがれず、サッカーでいえばJ2に当たるイーストリーグに所属しています。東芝にいたマコーミックが一時在籍した時は、日本選手権に登場したことがありましたが、その後、表舞台にはほとんど出てこなかった。今期はイーストリーグ4位でトップリーグとの入れ替え戦出場権を勝ち取るまであと1歩というところまでいきました。→http://www.rugby.or.jp/2010/hoshitorihyo.shtml#east
こんな形で久しぶりにスポットが当たるのはなんともいえませんが、こうした経験を活かして今期は是非トップリーグチャレンジに出場して欲しい。関東でも試合があります。みんなで応援に行こう!
頑張れ!釜石!!
地震:音信不通となっていた従兄と連絡がとれた! [日記・雑感]
地震発生から丁度1週間経った昨日、岩手県宮古市在住の従兄とようやく連絡がとれました。昨日昼過ぎに携帯が使えるようになり、話をすることができました。地震当日は500m手前まで津波が押し寄せたとのこと。結局、同じ地域に住んでいた従姉の家は流されてしまいました。
津波が去った後が大変だったようです。まず連絡が取れない。周りは混乱している。被災された人の介助、避難所への誘導、瓦礫の片付け・・・いろいろ動き回っていたようです。家を流された従姉のほうは一旦宮古工業高校に設置された避難所にいったそうですが、孤立する恐れがあるとのことで移動。この際、最初の避難所で記載した名簿は新しい避難所には引き継がれなかったようで、ここで所在不明になってしまったようです。結局、従姉一家は家が無事だった従兄の家に避難。とりあえずは三陸沿岸部在住の親戚一同、全員無事が確認されました。
電気、水道は昨日復旧。泥だらけの服をいくら洗濯しても細かい砂のようなものが取れない、水に浸かったものを洗い流して使おうと思ってもきれいにならない。新しいものに買い換えようにもモノがない。ガソリンもない。従兄の家には自家発電装置があったのですが油がなくて稼動できない。昨日は3時間並んでガソリンを確保したとのことです。
宮古市と盛岡市を結ぶ国道106号線が復旧したことから徐々に復旧に向けた動きは加速すると思われますが、岩手県全体の交通インフラが崩壊している中で障害は多いようです。周辺地域の復旧が進めば被災地復興の足がかりになると思います。東北新幹線、東北自動車道、東北本線、国道4号線・・・これら東北への動脈の復旧、なんとか急いでほしいものです。