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地震:実家(岩手)に行ってきましたレポート [日記・雑感]

東日本大震災から昨日でちょうど一ヶ月が経ちました。
少し落ち着いていてもおかしくないはずなのに、4月7日、11日の両日に震度6クラスの「余震」がありました。復興機運が高まってきた矢先の強大な余震。まさに出鼻をくじかれましたね。
私の実家、岩手県南は7日の地震で震度6弱を記録しました。3月11日の本震の際は、内陸部は三陸沿岸に比べれば申し訳ないくらい小さな被害で済みましたが、7日の余震は「そうはいかない」とでも言われたかのような揺れだったようで、実家からSOSの電話がありました。新幹線は実家の最寄の駅(一ノ関)まで復旧しておらず車でいくしかない。しかも東北道は宮城県の古川ICから岩手県の平泉前沢ICが通行止めとの情報。最寄のICは平泉前沢ICなので、古川ICで降りて国道4号線を北上するしかありません。東京から実家までは470kmを少し切るぐらい。古川ICから平泉前沢ICまでは約100km。高速道なら1時間程度ですが、一般道となると相当時間がかかりそう。なおかつ東北地方は全域が停電という情報もあって、信号もとまっているだろうから余計に時間がとられそうです。とはいえ、実家には年老いたじいさん一人。SOS要請は初めてということもあって、深夜着、場合によっては翌朝着も覚悟の上で岩手に向かいました。

◆東北自動車道
14時過ぎに首都高にのり15時前には東北道に。物資の運搬のためのかトラックの数が多く、災害派遣の自衛隊の車両や医療チーム、NPOのマークをつけた車など、恐らくは被災地に向かっているであろう車が多かったのですが、渋滞することもなく、あっという間に栃木県内を通過、福島県に入りました。ちなみに帰りの東北道下りでみた光景ですが、右翼団体と思われる救援チームも見かけました。キャンピングカーに日の丸と旭日旗をつけて、SAの駐車場で3月11日の地震が発生した時刻、14:46に黙祷をささげていました。
福島県内に入ると段差注意の看板が多くなりました。道路がゆがんでいる?ひずんでいる?凹凸が多くなり、100km/hで走っていると揺れがひどくなってきました。前を走っている軽自動車が段差のたびに「飛んでる」ように見えました。停電の影響で高速内での給油ができなくなる可能性も考え、吾妻(福島県)というPAで満タンにしましたが、以北のSA、PAは真っ暗で営業停止。ちょっと休もうと思ったらガードマンがいたので「休めますか?」と聞いたら、「まあ休めますけど真っ暗ですから・・・」という返事。トレーラーなどの大型車は止まっていたようですが(暗くてシルエットしか見えない)、なんか不気味な感じがしたので通過。もうすぐ古川ICというところで、通行止めの区間が平泉前沢ICと水沢IC間に変わったことを電光掲示板で確認。朝着くことも覚悟していただげに本当にラッキーでした。早く復旧させようとしたネクスコ始め関係者の方々に感謝しつつ、実家に向けて車を飛ばしました。

◆実家
21時ごろ実家近くの市街地を走行。停電の影響で街中は真っ暗。信号機も作動していませんでした。もともと田舎町なので街灯の数も少なく、それこそ東京に比べたら暗い街なのですが、街灯がない街がこんなに暗いもんだとは思いませんでした。普段、いかに人工の光の恩恵を受けていたかということを改めて実感。なぜか星がきれいに見えました。
21:30頃実家到着。車の方向を実家に向けて止めてヘッドライドの明かりを頼りに荷物を降ろしました。夜目に見て家自体は問題がないようでしたが、中に入ってびっくり。懐中電灯で照らすと物が散乱してとても生活できる状況にないことがわかりました。
仏壇(ひっくりかえっていましたが)から調達した?ローソクに火を灯し、とりあえず座る場所を確保、さぁどこから片付けようかと思ったのですが、親父は「もう寝る」というし、暗い中で何もできないので、「焼酎でも飲んで寝るか」ということに。水道、ガス(プロパン)は大丈夫でしたので、明るくなればなんとかなる、という気持ちはありました。トイレは手動で水が流せるモードに切り替え(ウオシュレット等電動トイレは手動レバーがついてますので停電時にも使用できますよ。知ってました?)、充電タイプで停電時でも観ることができたポータルブルテレビでニュースをチェックしていたら電気が復旧しました。10:45頃でした。

◆被害の大きさに愕然
三陸沿岸部の津波被害に比べれば天国のような状況ながら、翌朝、太陽の光のもとでみた光景にはびっくりしました。隣家のコンクリートで作られた塀は倒壊、実家の前に建っていた蔵は、一見、大きな被害がないように見えましたが、その家の主人に聞くと「蔵がずれた!」とのこと。横揺れが相当ひどかったようで、神社の鳥居も倒壊、寺を始め瓦屋根の家は瓦が落ちて屋根に青いビニールシートがかかってました。古い家は半壊とまではいかなくても、相当な被害をこうむったようです。
我が家といえば物が散乱しているだけかと思ったら家具類は基本的に全てずれており、壁や柱はずれたりゆがんだりしていて埃まみれ。うっすらと家中が白くなっているような感じでした。
正月に買ったばかりの液晶テレビはパネルにひびが入り(これは3月11日の本震)、電子レンジや炊飯器、和ダンスなどは4月7日の地震で「空を飛んだようで」、台所の片付けだけで丸一日かかってしまいました。食器類は破片が散乱。正直、これ片付くのか?と、しばらくの間、呆然としてました。

◆遠くの息子より近くの親戚、近所の皆さん
実は大型の家具などは私が実家に着く前に、近くに住んでいるいとこ、親戚が片付けてくれたとのこと。地震直後の安否確認も近所の人がすぐに駆けつけてくれたようで、一人暮らしの身にはかなり助かったようです。まさに遠くの親戚よりも・・・のたとえの通り、遠くの肉親、息子なんかいざというときに役に立たない。片付けている間は自分の家のことで精一杯だったんですが・・・余裕がなかった。本当に感謝、感謝でした。

4月11日以降も余震は収まる気配を見せていません。本当に内陸部なんかはまだいいほうで、そんな状況の中でも年寄りの一人暮らしの家は大変な状況だと思います。以前、このブログでも紹介させていただきましたが、私のいとこは三陸沿岸部で1週間音信不通になり、さらに別のいとこは家を流されました。連絡が取れない間は最悪の事態も考えましたが、今回の余震で被災地の片隅に自分の実家があることも実感、これを機にいろんなことを考えさせられました。
自然、地球レベルのことではありますが、早く収束して欲しいと本当に心から思う次第。もううんざりです。

4月7日23:32 地震発生時刻。時計が止まってました。
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鉄筋が入っているにもかかわらず倒壊した塀
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一見するそんなに被害のないように見える蔵。実は左にずれている
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5cmほどずれていた!
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近所のイオンショッピングセンター(旧ジャスコ)。3月11日以降、なんとか営業していましたが、4月7日の地震で外壁はもとより売場内部も危険な状態になり閉鎖。駐車場で日用品を中心とした店頭販売を実施。
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半分しか観えない米倉涼子。買い替えるしかないか?
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おまけ。柴犬テツ。2歳。地震には慣れっこになってしまった?食欲旺盛・・・元気です!
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うっちゃん

見て来た人でなければ表現できない迫真のルポ、一気に読ませていただきました。お父さんもテツも怪我なくてよかったですね。先日夜の余震被害も大きかったとは盲点でした。私の両親も九州ですので、同様にいざというときには役立たずの長男です。JRや航空会社は格安の「実家往復運賃」を設定して欲しいものです。
地震も原発もほんとうにいつまで続くのでしょう。震源が次第に東京に近づいてきているように感じるのは気のせいでしょうか。皆様もどうかご無事で。
by うっちゃん (2011-04-13 14:44) 

Ganchan

>うっちゃん さん

ありがとうございます。
by Ganchan (2011-04-14 14:41) 

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