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会津若松:東北最後の抵抗の砦 [トラベル&モニュメント]

日本の歴史の転換期にあって、新たな為政者や権力者の目指す最後の地は東北でした。アテルイと坂上田村麻呂、奥州藤原氏と源頼朝、伊達正宗、九戸政実と豊臣秀吉、そして戊辰戦争です。戊辰戦争といっても東北各地でさまざまな戦闘があり、それなりの逸話、歴史が残っているわけですが、ここ会津若松は白虎隊の悲劇であまりにも有名です。個人的にいえば、白虎隊の悲劇は、あまりにも古い日本の価値観を体現したものであり、皇国史観や報国とった価値観と共通するものを感じていてあまり好きではない(というか利用されてきたことに)ですが、東北最後の抵抗の砦、その象徴として、根っこが東北人である私としては同情的でもあるわけです。という前置きはともかく、先日、その会津若松に行っていきました。

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鶴ヶ城の威容。1965年に再建されました。天守閣の高さは大阪城、姫路城に次いで3番目に高いとか。よく整備されていあます。やや直線的なデザインが特徴ですね。

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市内飯盛山の白虎隊自刃の地。ここで白虎隊隊士諸君は(多くの隊員は16歳前後の少年兵)、鶴ヶ城天守閣から煙が上がるをみて、「もはやこれまで」ということで自ら命を絶ちました。このモニュメントは、その故事を形にしたもの。

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鶴ヶ城を望む像を正面から撮ってみました。

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飯盛山から鶴ヶ城天守閣を望む。写真真ん中やや右寄りにわずかですが天守閣がみえます。今みると遠く確認できる程度ですが、当時の人は現代人より視力はよかっただろうし、空気もきれいだったと思われ、意外に近く見えたのではないでしょうか?

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飯盛山にある「さざえ堂」。正式名称は六角のお堂で二重らせん構造という変わったお堂です。「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)が正式名称。1796年に創建されたお堂です。このお堂、是非、見てみたいと思っていたのですが、今回、初めてみることができて感激でした。

この悲劇は今では美談として受け継がれてきたように思います。が、自刃の地に立ってみて、なんともいえない切なさを感じました。砲煙と硝煙、血の匂いという戦場で抱いたであろう絶望感だったのでは? そんな気がしてなりません。


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