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震災から1年:日常と未来 [日記・雑感]

東日本大震災から1年が経ちました。金曜日でしたね。私はというと仕事先から自宅まで5時間かけて帰宅しました。津波の被害は仕事先で断片的に入ってきたニュースで知ってはいましたが、これほどまでとは思っていなかったというのが正直なところ。とりあえず無事に家にたどり着けること、岩手の実家にいる親の安否、岩手・宮古市に住んでいる母方の従姉弟家族の安否など気にはなっていましたが、どこかで大丈夫だろう、という楽観的な感覚でした。

翌朝になり、被害の全貌が明らかになるにつれて、これは大変なことになったと思いました。親の安否は確認できていましたが、宮古に住んでいる従姉弟及びその家族の安否は不明のまま。結局、連絡がついたのは10日後のこと。地元テレビ局に安否情報を出すなど(叔父夫婦)なんとか連絡を取ろうと思いましたが、当時の三陸沿岸部は全く通信不能の状態。待つしかありませんでした。

実家は内陸で津波の影響は心配しなくてもよかったのですが、地震そのものによる被害は大きかった。家の中はめちゃくちゃで一人暮らしの父親としては呆然としていたらしい。むしろ3.11より1ヵ月後の巨大な余震のほうがすごかった。二度目の大きな地震が復旧に着手し始めた人たちに大きな打撃(特に精神的に)を与えたのではないかと思っています。4月の余震では地震の翌日に車で東京から実家に向かいましたが、見た目の被害もさることながら日常を東京で送っている自分ですらやるせない気持ちになったのを覚えています。

人は普段、ある種の刺激、または将来の漠然とした夢や希望を持って生きている。たんたんと続く日常が続くことに嫌気をさすこことも。それでもその日常こそがもっとも大切であることを今回の震災では改めて思い知らされたような気がします。そこにある日常こそが希望や未来につながっていく。親や従姉弟が無事だったことが私にとっては大きな日常の一環であり、心の平穏をもたらすもの。従姉は家を流され、避難生活を余儀なくされましたが、先日、私の親に電話があったそうです。彼女にとっての日常がスタートしたということなのでしょうが、1年かかりました。

「絆」・・・まさにこの1年を象徴する言葉だと思います。多くの人たちが何かをしようと頑張った1年だった。一方で放射能絡みでは瓦礫処理も受け入れもままならない。放射能問題により苦労されている方々はたくさんいます。一過性のものではなく、自分の日常の中から気持ちを伝え、できることをやる。そんなことを考えています。 


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